自分の人生の歩み方
さて、今お風呂を上がって音声入力でブログを書いている
お風呂に入っていた最中思っていたことがある
今日はブログに何を書こうか
ということである
いろんなことが思いついた
まずブログタイトル
私は比較的ぱっと思いついたタイトルを派生させて書いていくことが私のやり方である
思いついたのは
「自分の人生の歩み方」
「なぜ腰に手を当てて飲む牛乳は美味しく感じるのか」
「切り口の多さが人生を左右する」
である。
(他にもたくさん思いついたが、忘れてしまった)
なんとなく一番面白そうなのが
「自分の人生の歩み方」
なので、以下それについて書いていこうと思う。
自分の人生を歩くために一番大切なことがある。
それは他人の人生を歩まないようにすることである。
自分の人生を歩けていない人には特徴があり、常に他人に敷かれたレールを歩いているという点を有している。
たくさんの情報に溢れたこの現代社会、気づけば他人のレールの上を歩いている、ということも決して珍しくない。
例えば良い大学に入って良い企業に入って結婚して一軒家を買う、そんな人生が良い人生だと世間では語られている。
しかしこんなものはクソである。
内容がクソなのではなく、それを強要する世間の風潮がクソなのである。
仮にこれを聞いて
「うわー俺もそんな人生を歩みたいわ」なんて思う人がいたら、別にそれはいいだろう。
だがここからが本題で、なぜその人生を歩みたいのか、ちゃんと再定義できていることが非常に大切である。
仮にその定義付けを怠り、とりあえずレールに乗っているだけでは、確実に今後とも自分の人生を歩むことはできないだろう。
日常生活には「敷かれたレール」が張り巡らされている。
例えば最近私はサウザーさんという方のブログを読んでいる。
最初私はこれを見て「俺も不動産で不労所得を得たいな」と思った。
しかし 俺が不動産にこだわる理由がないことに後から気づいた。
俺は単純に不労所得が欲しい。
なのにサウザーさんが「不動産で」不労所得を得ているところを見ると、
「俺も不動産で不労所得を得たいな」と思ってしまう。
ここで仮に「よっしゃ俺も不動産で不労所得を得たるわ」とその選択しだけにコミットをしたら、まさしくレールの上に乗ろうとしている瞬間と言えるだろう。
サウザーさんは別に意識的にレールを敷いている訳ではない。
しかし本人の自覚の有無は関係なく、道を示すこと、手段を開示することは、他人が勝手にレールと認識してしまうような側面も持っている。
聞いた人は本当にそれが自分にとって必要なのか、再定義する必要がある。
今回のケースでは、俺は「不労所得を得たい」という願望がもとになって、レールに乗ろうとした。
だが「不動産で」というのはあくまでおまけでしかない。
おまけというよりは、手段の一つでしかない。
なのに乗ろうとしたのは、完全に「自分で再定義することを面倒だと思ったから」にほかならない。
人間は無意識のうちに選択を避ける生き物だ。
選択することになるべくエネルギーを使いたくない。
だからレールに乗る。
無意識のうちに。
まずは不動産で得られる収入以外に何の不労所得があるのかを調べる必要がある。
調べた後に複数の選択肢の中からそれでも不動産を選択した場合、ここでようやく自分のレールとなる。
だらだらと書いてしまったが、その2行が今回の記事で伝えたかったことの本質である。
要約すると
「これが良いよ」
と言われてもまずは鵜呑みにはしない。
その選択肢を含めた、同様の選択肢を列挙し、その中から自分に合ったものを選ぶ。
ということである。
他人のレールに乗るにしても、そのレールが本当に自分が乗りたかったレールなのかを再確認すれば自分で選んだことになる。
だから「とりあえずやってみる」という選択肢もありだ。
深い意味もなく、与えられた選択肢に固執することは、他人のレールの上歩いていることに他ならない。
しかしだからと言って最初から「俺は他人のレールに乗らねえ」と言って、かたくなに拒否するのは頭が固いだけである。
とにかく、最終的に選択しを比較し、自分で選べばそれでいい。
それが「自分の人生の歩み方」である。
終わり
所用時間66分
音声入力と手入力のハイブリットでブログを書くと早い気がしたが、手入力だけの場合と意外に変わらない。
音声入力はミス入力が多すぎて、修正に時間がかかりがち。
ミスを放置してもよいなら、音声入力は爆速だ。
終わり