人間は行動後に必要性を後付けする。
なんか思うように行動できねぇ
「今日は10:00から夜21:00までの間に、卒業研究の資料作りをするぞ」
と意気込むも、家でついダラダラして電車1本逃し(田舎なので一時間に一本)、研究室に着いてからも、ネットサーフィン。
21:00まで研究室に滞在するも、資料作りはほぼ進歩なし。
そんな過ごし方をしてしまった。
自分が決めたことですら守れない。
やることは明確に決まっていて、後はやるだけなのに、やらない。
怠惰の極みである。
しかしここで疑問がある。
何でこんな簡単なことができないのだろうか。
行動した方が得であることは分かっているのに。
ただめんどくさいとか、怠惰とか、そんな理由だけで行動ができなくなるものだろうか。
なんだか、そんな単純なものでもない気がしてきた。
人は決めたことではなく、やりたいことをやる生き物
最近は何をやるにしても、予定だて、計画だて、決意表明、という風に行動を設計しようとすることが多かった。
がしかし、結果はどうか。
決意、設計した通りではなく、いつもやりたいことやその場の誘惑に流されているではないか。
(行動が成立していない時点で、設計したとも言えないが・・)
決め事はことごとく、失敗に終わる。
ここであることに気が付く。
人が動く動機は、決意した時、計画を立てた時、ではなく、最終的にやりたいと思うかどうか、なのではないかと。
・・・
いや、違うかもしれない。
俺は現に金儲けしたいから、本来なら副業ライターのような仕事もやりたいはずなのである。
しかし、結局やらずじまいだ。
どうやら、やりたいと思っても、やらないことはあり得る。
では、最終動機は何なのか。
パッと思いついたことでしかないが、
やる必要があるかどうか
ではないだろうか。
「これをやらなきゃ死んでしまう」
なんてことがあったら、それこそ死にもの狂いでそれを達成しようとするだろう。
別にやりたい訳じゃなくても、実行するはずだ。
「これをやらなきゃ、滅茶苦茶怒られる」
という場合も同様。
恐れが自然と行動を促す。
しかし
「別にこれやらなくても死なねーし」
と思っていたらどうだろう。
恐らく、やらない。
というか、やらなかったことに対して、
「別にこれやらなくても死なねーし」
という言い訳を後付けすることの方が現実的である。
うん、間違いない。
人が動く原因は、やる気だとか、決め事だとか、そういうものではなく、
必要かどうか、だ。
つまり、自分が今必要としていない物に対してやる気は湧かない。
もっと言えば、「どう思ったか」とか「どう決めた」とかは、行動にはほぼ関係ない。
「思った」「決めた」は行動した後に付いてくるイメージだ。
・何気なくご飯を用意して食べた
・気が付いたらち〇こを握っていてオ〇ニーしていた
・自動的に歯磨きして風呂に入る
・気が付いたら寝ていた
こういう行動が先に来て、動機や理由が後付けされる。
私たちは
「お腹が空いたからご飯を食べよう」
という風に、
原因→行動
で考えてしまいがちだが、
食後に
「お腹が空いたからご飯を食べた」
という後付けをするのかもしれない。
行動→原因
まとめ
最終的に何が言いたいのかと言うと、
人は必要に駆られないと、なかなか行動に移せない。
ささっと行動できる人は、それが自分に必要であると思い込む力が発達しているのかもしれない。
終わり
(所用時間75分)