書くことが思いつかない状態の事を書きました。
「ブログ書きてぇけどネタがねぇ!!」
という状態から、現在この記事を書いています。
相手が不在で書く文章は、ただの落書きにしかならない気がしますが、意外に書いていく内に書きたいことがまとまっていくかもしれません。
よく、
「ブログを書きたいけど書くネタがないなぁ」
と言っている人が散見されますが、こうやって書くネタが無いことをネタにしようという発想をすれば、正直いくらでもネタがある気がしてきます。
「ああ、書くことねぇな、自分が呼吸していることについて膨らませて書いてみるか」
みたいなノリで書いてもいい気がします。
「部屋に落ちている髪の毛を全部拾って、数を数えてみた」
「でかい耳くそがとれた感想」
「わき腹がかゆい」
「部屋が埃っぽい」
くそどうでもいいテーマでも、形に残すことが重要だと思います。
やっていることは、薄まっているカルピスをさらに薄めているようなことですが、濃さなんてどうでもいいのです。
とりあえず、飲めればいいんです。
とりあえず形にすればいいのです。
相手が不在の状態で作ってもしょうがないですが、まずとりあえず形に残せばいいのです。
情報発信をしたいけど、ネタが無いからなぁ・・・
とくすぶっているいる人ほど、書く習慣を獲得する意味でも、やった方がいいです。
一度、適当に書き始めばそれが土台になり、ふんわりとした全体像が形作られ、必要に応じて付随したことを書きたくなります。
例えば、
「わき腹がかゆい」
って記事を書いてみるとします。
すると、わき腹、かゆい、の二つの要素に分解できると思います。
そこから、広げていくイメージです。
書こうとして見ると、
「そういや、わき腹ってどこからどこまでがわき腹なんだ?」
という疑問を持つ場合があります。
そしたらその疑問をそのまま書き、続けて、わき腹の定義について検索した結果を載せるなどすれば、それは立派なわき腹の定義を紹介した記事になります。
「なんで痒みって引き起こされるんだろう」
「痒みって痛覚なのか?、触覚の一種か?」
なんていう疑問に着目すれば、痒みの原理を紹介する記事になります。
どんなにくだらないネタでも、一つ意味を持った記事になるのです。
勿論、必ずしも意味を持たせる必要もなくて、本当に徒然なるままに書くのもありだと思います。
まぁ、文章を書く目的によって、書き方を変えればいいだけです。
プチ脱線しますが、
私が今記事を書いている理由は、毎日記事を書くという習慣を身に付けるために書いています。
だからこの記事は誰かに何かを伝えるのが目的な訳ではありません。
毎日一記事書くというノルマをクリアするために書いているのです。
今私は習慣を変えることに力を入れています。
習慣が人生を作っていくからです。
私の身体には怠惰な習慣が染みついています。
私はこれでも向上心は強い方なので、このままでは駄目だと思っています。
だから書き続けないといけないのです。
話しを戻しますが、文章は書く目的ごとに、書き方を変えればいいのです。
最初から、だれかの役に立つ記事を書くのは難しいです。
だれかの役に立つ記事を書くために、書く練習をするという意味で書き始めるのもありでしょう。
「最終目的は誰かの役に立つ記事を書くことだが、その前に練習をする目的で記事を書く」
というやり方があってもいいと思います。
そして一番大切なことは恥を恐れないことです。
「こんな記事を書いたら、笑われるんじゃないだろうか・・・」
とか
「これを読まれたら頭の悪い人だと思われるかもしれない・・・」
と、記事を書き終えた時に思うことがあるかもしれません。
そんな時こそ、投稿をためらってはいけません。
一度、お蔵入りした記事が、復活することは難しいです。
何故なら、完璧探しをしてるから、お蔵入りするのです。
もっといい記事がかける、いい記事に直せる、というものは過信なのです。
大抵は、あーでもない、こーでもない、と永遠と右往左往するのが関の山です。
自分が書く記事に完璧を求めてはいけません。
しつこく言いますが、とりあえず形にすることが大切なのです。
形にしてから、後悔するのがいいのです。
「もっとこう書けばよかったなぁ」
「ここはこう直せるだろう」
後から直せばいいのです。
若しくは、その記事は直さず、どんどんアップデートした内容の記事を書いていくのが重要です。
何か書くのが疲れてきたので、この辺で止めますが、今回もクオリティが低くても書いてよかったと思います。
まさか書くことが無いことをネタにしてかいたら、
「記事を書く際の注意点」
を書いていた。
こういう派生があって、どんどん記事が広がっていくのも、
とりあえず書く
ことの良い点ですね。
終わり
(所用時間43分)