怠惰撲滅ブログ

怠惰な筆者が勤勉になるまで

細かい所まで、取りこぼしなく実行できる人が大成する。

最近、細かいところにどれだけ気を配れるか、が重要だと考えている。

 

例えば、気遣い。

あまり気遣いは得意ではないが、最近人に気遣いすることに関しては、気を張っている。

例えば、飲み会の席で、取り皿にサラダを盛ってあげる、寒そうな人がいたら空調設定を変えてあげる、手が届かず取りにくいものを代わりに取ってあげる、などだ。

 

一見当たり前のようにも思えることだが、こういう気遣いすらもできない人は意外に多い。

 

やらない人の中には実は、気が付いているけどやらない人というのが存在する。

そいう人たちが気遣いをしない理由は、

 

「まぁ、わざわざ気を遣うことでもないだろう」

「余計なお世話かもしれない」

 

などなど様々な理由があるが、

 

まぁ私がやらなくてもいいか

 

という気持ちがどこかにあるから、やることをやめてしまう。

 

本当に気遣いができる気遣いの神、的な人ならばきっとやらない気遣いというものをできるのだろう。

けど、そうでない人のやらない気遣いなんて、大抵はただの自分への言い訳なだけだったりする。

 

つまり、これぐらいはまぁいいだろう、という線引きをしてしまっている状態である。

 

実はこういう細かい、やるかやらないかの差が、大きな差になっていく。

 

「やった方が良いけど、これぐらいやらなくていいだろう」

が積み重なる人は、自然と周りからも、

「その他大勢の中の一人」

という烙印を押されるだろう。

 

逆に、異常なまでに細かいところまで気を配ることが出来る人は

「細かいところまで目が届く人」

というラベルが張られることになる。

 

この差が、選ばれる人になれるか、選ばれない人になるかを分ける。

当然ながら選ばれることが多い人の方が、色々なチャンスや機会を得れるから、自分のやりたいことも見つけやすくなる。

 

だから

「これやった方が良いよな」

と思ったことは全部やるくらいが丁度良い。

 

いくら細かいことだろうが、やらないよりは100倍はマシだと思う。

 

もはや、道に落ちているゴミを全て拾う、と言うぐらいに極端にやった方が良い。

極端にやることで、後から丁度良い具合というのを見つけることが出来る。

 

 

 

これは気遣いに限った話ではなく、怠惰を直す際にも同じことが言える。

 

どれだけ細かい怠惰まで撲滅できるか、が重要である。

 

「少しぐらい二度寝してもいいだろう。」

「後でやろう。」

「ちょっと遅刻してもいいかな。」

 

このプチ怠惰が積み重なると、

「終わりのない二度寝

「永遠とやらない」

「もはや行かない」

という最終形態を迎えることになる。

 

怠惰は小さい内に芽を摘んでおいた方が賢明だろう。

 

・細かい気配りを全力でやる

・小さい怠惰を全力で潰す

 

というおはなし。

(所用時間60分)