怠惰撲滅ブログ

怠惰な筆者が勤勉になるまで

遺書を書く

「私は死なない」とか「別に死んだあとのことなんて考えるだけ無駄だわ」って考えている人は読む必要がないかもしれません。親に恩があったり、周りを困らせたくない人は見る価値があるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

f:id:moyasiitame001:20171005220457j:plain

 

 

 

 

 

最初に言っておく。

※全く死ぬ気はない←ここ重要

 

しかしながら、人はいつか死ぬ。

非常に当たり前な事なのに何故か皆、自分はもう少し生きると信じて止まない。

本当いつ死ぬか分からないのに、それを考える人は少ない(偏見かも)。

いや、正確には死んだ時のことなんて考えてもしょうがないから、考えない人が多いのかもしれない。

というか誰しも一回は自分が死んだらどうなるかを考えたことがあるかもしれない。

 

まぁ、他の人が死についてどう考えているのかは置いといて...

 

 

 

 

さて、今回は遺書を書いてみようと思い、その構成、内容を練ろうと思っている。

その内容構成について考える前に、考えていることをバーッと書く。

 なんで遺書を書こうと思ったのかとか、何でほとんどの人が自分の死後困る人のことを考えてあげないのか、とかね。

 

 

 

生死について考えると、結論が出ないから普段あまり考えることはないが、死の周りで起こる出来事、準備を知ることは今後の人生を生きる上で必須の知識になってくるなー

とか最近考えることが多い。

20歳を超えて、周りの人間の死ぬ確率がどんどん上がっているからだ。

生きれていれば、当然親しい人の死を間近にする機会もある。

 

私は葬式とかに参加してると毎回、

 

勿体ないな」

 

って思うことがある。

何が勿体ないのかというと、その人の脳内に蓄えられた情報が永遠に失われてしまうことである。

 

母親が死んで数年後、

「ああ、母さんってあの料理どう作ってたんだろうな」

と思ったり、

父が死んで数年後、

「父さんって、どういう考え方を軸に人生を歩んでいたんだろうな」

とか思うことになる可能性って結構高いと思うんだよね。

(※私は両親ともに健在です。)

 

で、仮に私が死んでも何かしら、周りの人に思われる可能性ってあると思うんだけど、その時、当の私は死んで何も話せない訳だから当然、何も教えてあげることができないんだよね。

 

すると周りの人はどう思うか。

「あいつ人生に満足してたのかな」

「あれ聞いとけばよかったな...」

なんて微妙なモヤモヤを持つ可能性があるんだよね。

 

特に自分が15歳で死んで、親が健在だった場合、大抵の親は一生モヤモヤして過ごすことになると思う。

 (というか、自分の息子娘が自分より先立ったら大抵の親はモヤモヤしそう)

 

何が言いたいかって、誰かにお世話になったり育てられたりしている若い人ほど、自分の死んだときを考えて、死んだとき周りのモヤモヤを軽減して上げられる何か、をやった方がいいと思うんだよね。

 

・現在までの人生で自分は何に満足していたか

・何が不満だったか

・これは役経つから教えておくね

 

ってこと死んだときのことを考えながら、1時間くらいノートに書いておくだけでも、だいぶモヤモヤは軽減されると思う。

 

まぁ逆を言えば、

「俺が死んだあと周りをモヤモヤさせてぇ!!同じ苦しみを味わえや!!」

って人はわざと嘘を書いたり、恨みを書き綴るのは全然ありだと思う。

これはお好みで(笑)

筆者はモヤモヤを解消させたい、という前提で書いていく。

 

一つ言えるのは死にそうになってから遺書書いても遅い。

( ※全く死ぬ気はないです。)

 

理想はUSBメモリ

USBメモリって簡単にバックアップ取れるよね。数秒から数分でパパっと。

するとたった数秒数分の時間で、そのデータを半永久的に残せる

USBが壊れてもバックアップとっていれば問題ない。大切なデータも受け継いで行ける。

でも人間はどうだろう。

バックアップが取りずらい、というか正確なバックアップが取れない。

基本的にいつ死ぬか分からないのに、常にバックアップを残しておこうという発想がない。バックアップを取るための行動をしない。

死ぬと恐らく脳内に蓄えられたほとんどの情報は失われる。

受け継がれていないものが多数あるにもかかわらず。

 

という具合である。

情報化社会が聞いて飽きれる。

なんで人の死によって失われる莫大な情報に、目が向けられないのだろうと割と本気で思っている。

何故価値あるものの消失を誰も止めようとしないのだろうか。

まぁ長い年月を経て脳内に蓄えられた情報に価値があると決めつけるのも短絡的だし、人間の思考は複雑だから全部言語で残そうとするのは難しいと思うけども。

 

決して、どうせ死ぬなら死なれる前に情報をとれるだけ取っておこう、死んだなら何貰ってもいいじゃん、なんて考えている訳ではない。

「自分が死んだとき、この記憶や思考がなくなるの勿体ないわー、誰かにあげたいわ 」

「あの人、生前何考えて生きていたんだろうなー」

という人同士を仲介するシステムがあってもいいんじゃないだろうか。

当然バックアップの手段が必要になるけど。

 

もしこれが実現したら、遺書も遺産の一つになりそう

 

まぁごちゃごちゃ書いたけど、とにかく、自分が死んだあと周りが感じるモヤモヤを軽減してあげたいから、遺書の内容について考えていく。

(※全く死ぬ気はないです) 

 

死後の周囲モヤモヤ解消用の、誰でも書けるような遺書、っていう感じがいいかもしれない。

 

誰でも書ける遺書の構成 

まず考えている前提として、死んだ人間が生きてる人間をどうこうさせようとするのは良くないと思う。

例えば、葬式はこうしろ!とか、あれは処分しろ!とかなど。

あくまで「現世にこの情報おいて行くわ、後はご自由にどうぞ」っていうスタンスが望ましい。

これして欲しいし、した方がいいよ。って書いた方が残された人も穏やかに対処できると思うし。

完全に好みの問題だけど、命令口調は良くないと思う。まぁ最後はお好みで。

 

 

んで書いた方がいい必要最低限の内容として、

 

・なんで遺書を書いたのか

・人生に満足していたか

・何が不満だったか

・どういう価値観を大切に生きてきたか

・これは教えておきたい

・親へ一言

・知人たちへ一言

・どんな葬式にして欲しいか

・これは秘密にしておく

 

とかがあるかなぁ....

まぁこれぐらい書けば問題ないでしょう。

「あら、この子随分用意周到だったのね」

なんて遺品整理の時に、一目置かれるかもしれませんね(笑)

(※全く死ぬ気はないです)

 

まぁそれらを踏まえて書くと、私は以下のような遺書になります。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

別に死にたい訳ではないですが遺書を書きました。

いつ死ぬか分からないので書きました。

もし死んでしまった時、何もお別れの言葉が無かったら残った人が寂しいと思うので、予め色々と書いておきます。

 まず私が人生に満足しているかどうか。これは結構満足度は高い。生まれた家は最低限以上の衣食住はそろっているし、それどころか非常によくしてもらっていると思う。家族は優しい。親にはかなり感謝しているし、家庭外の人間関係もそこまで悪くない。辛いこともあったが、楽しかったことと比べると微々たるものだと思う。やりたかったことは尽きないが、とっくの昔に元は取れていると思う。

 不満があるとしたら、まだ大した活躍もできていないこと。流石に○○歳(自分の年齢)で死んでいたら、若すぎると思う。独立独立言いながら結局独立出来ていないのもダサくて心残り。あと、親に孫の顔を見せられなかったのが少し後悔かもしれない。まぁ来世で頑張る。

 生きる上で大切にしていた価値観は、気楽に生きること。いつもふらふらしているイメージを持たれていたと思うけど、自分の価値観を大切に生きた結果だと思う。価値観がコロコロ変わることもあったけど、なんやかんやでこれが一番近い価値観な気がする。

気楽に生きると不幸とは無縁の生活を送れるので、是非ともこれは親族と知人にも、気楽に生きることお勧めしたい。

 後これは教えておきたいんだけど、俺の部屋に置いてある○○と○○の本は○○の知識について分かりやすく書いてあるから、結構オススメ。暇があったら是非。

後、ネット関係のパスワードが書いてある○○色のメモ帳が机の中に入っているから、それを見てサイトに打ち込めば、俺の使っていたアカウントとかブログとか見れるよ。暇な時見てみて。まぁ見るほどのものでもないけどね。部屋にあったものは基本的自由にしてよい。ブックオフに売り飛ばすなり、捨てるなり、誰かにあげるなり、まぁご自由に。パソコンに入ってるデータも好きにしていい。○○フォルダには○○が入っていて、○○には~(以下略。

○○フォルダに就活の時つかってた写真あるから、それを葬式の遺影に使うといいかも。

 

まぁこれを読んでいるときに本当に俺が死んでいたなら、それはもうどうしようもないね。

色々手続きが面倒だと思うけど、無理せずに進めていってね。とにかくあまり負担にならない進め方で全然いいから、無理せずに親族で協力して進めてください。

 

生きてる皆に一言。いままでありがとう。健康に気を付けて元気に過ごしてください。健康第一!忘れずに!

 

なっす

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何度でも言っておきますが、

※全く死ぬ気はないです。

 

とまぁこんな感じかな。1時間2時間ぐらいあればこれぐらいの情報量は普通に書けると思う

たかが1時間2時間でこんなことを書けるなら、もし死んだときを考えたら絶対書いておいた方がいいと思う。

もし知り合いでこんなの書き残してたら、死んでからも「あいつすげえ!」って心に残る思う。(俺もそれを狙っている

 

まぁ正直日記とかブログとか書いている人は、それがもう遺書と近い役割をすると思う。死んだ人の頭の中のぞける何かが残っている方が、生きている人も嬉しいでしょう。

もし誰かが死んで、何も残ってなかったら結構さみしいからね。

家族を持っていて、大黒柱の人ほど早い内に遺書書いた方がいいと思うな。

 

遺書は死ぬ前の人が書くものだ!

とか、

死の近い年寄が書くものだ!

ってイメージがあるならかなり間違いだと思う。

 

まぁ法律とか本物の遺書の書き方とか全く知らんけど。

 

自分はまだ死にたくない!って思っている人ほど、遺書を書いた方がいいな

と思ったなっすでした。

 

 

おわり