怠惰撲滅ブログ

怠惰な筆者が勤勉になるまで

すごくてきとーに理想について語る

理想の話

 

誰しも理想というものを、思い描いたことがあるだろう。

 

「広い家に住みたい」

「大好きな人とイチャイチャしながら毎日を過ごしたい」

「お金に不自由せず、贅沢な毎日を生きたい」

「毎日永遠とゲームをしていたい」

 

などなど。

この例だと、余りにありきたり過ぎる気もするけども(笑)

 

かの有名な哲学者が「人間は考える葦である」とかよく分からない事を言っている事からも、人間はいろいろなことを考え、いろいろな夢を考え、いろいろな理想を考える生き物であることがわかる(思考が死んでる

 

 

最近、自分は将来どういう暮らしをしたいのか思い悩むことが多い。

 

大学生3年生になるまでは「お金持ちになりたい」だったり、「永遠とゲームをしたい」みたいな、ありきたりな願望しか湧いてこなかった。

 

しかし現在は違う。

寧ろ、「多分、そんな生活してもすぐ飽きるな」と気付き始めている。

正確には飽きないかもしれないけど、本当にそれだけ一生やれるかと聞かれたら即答できないなぁ、思っている。

 

しかし、何か崇高な理想が思い描けているのかと言えば、そうではない。

絶賛迷走中である。

 

俺は伊藤(イトウ@そぴたる (@sopital01) | Twitter)という人物のコンサル?を受けているのだけども、その人は

 

「お金だけ大量にあって、全然充実感のない人なんて世の中にごまんとおるで」

「自分ひとりの願望を叶えるんじゃなくて、周りの人も巻き込んで幸せにしていかないと人生面白くなくなるで」

「抽象度を上げて、自分の理想の世界を定義しないと、無難な人生に落ち着くで」

「ライスステージからライトステージまで、ぶれない一本の筋(信念)が通っている人生設計が大事やで」

「最初にがっつり人生のコンセプトを決めないと、無駄に彷徨う期間が発生するで」

 

という感じの事を主張している。

まぁ多分、大抵の人は何を言っているかさっぱりだろう。

興味ある人は伊藤氏に連絡を取ってみるといい。

 

俺も理解しきれていない。

 

 

まぁ話を戻すと、理想というものはそんなパッっと思い付きで出るようなものではないのである。

 

自分が理想だ!と思ったことを枯れるまで出し尽くし、それを一つに抽象度の高い概念にまとめる、ぐらいのことをしないと理想には届かない。

 

はたまた、その過程で理想だと思っていたものが実は理想ではなかったということに気が付く事もある。

 

一筋縄にはいかないのが、理想なのだ。

 

 

 

理想の密度

 

 

漠然と「人を幸せにしたい」と語っている人と、

考えに考え抜いた理想を凝縮した一言で「人を幸せにしたい」と語っている人では明らかに差がある。

 

前者は具体的に語らせてみるとほんの数分で語り終わってしまうけども、後者はその一言を永遠と掘り下げて語り続けられる。

 

どれだけ他の言葉を内包している一言なのか、がポイントである。

 

この2者を例えるなら、「ただのピンポン玉」と「100kgのピンポン玉」だ。

密度が違う。

 

別に、密度が濃いから立派な理想という訳ではない。

しかし、明らかにスッカラカンの理想というものは、もはや何も言ってないのと同じなのである。

 

永遠と具体化できるのではないか、という密度の抽象論が、理想なのだ、、

 

・・・理想なのかもしれない。

 

 

 

理想を見つけるためのヒント

理想を見つけることは非常に難しい。

理想というのは寝る間も惜しんで考えに考え抜き、徹底的に自分の過去を洗い出し、楽しかった時や幸せを感じた時を集めて凝縮して、これが俺の理想だ!!

と宣言したものが実は数日で飽きるものだった、というぐらいに見つけられない。

 

ウォーリーの5億倍、理想は見つからない。

 

もはや存在しないのではないか

探すものじゃないのかもしれない。

 

見つけるではなく、創るものなんじゃないか。

というか、永遠に完成することはないのだと思う。

 

きっと、生きていく上で永遠と向き合わないといけないもの、な気がする。

 

だからこそ、常に自分の感性を探る必要がある。

 

どういう時に楽しいと感じるのか、憤りを感じるのか、喜びを感じるのか、悲しみを感じるのか、ずっとこれをやり続けたいと思うのか、思ってきたのか。

 

部品を集めて、形にしていく作業が不可欠。

 

毎週ブレインダンプするぐらいの勢いで取り組まないと、理想は思いつかない。

 

 

 

 

 

取り合えず、何か熱中できるものがあれば気は楽になるけど、気休めでしかない気がする。

スプラトゥーンは無限にやり続けられる気がするけど、今それをやってたんじゃただの思考停止な気もする。

 

 

 

一つ言えることは、こういう事を悶悶と考えているよりも、誰かの役に経つことをして過ごした方が、理想を創るヒントになるのではないだろうか。

知らんけど。

 

 

無思考で行動するのも大事。

 

 

終わり

 

(所要時間:123分)

本当に時間を無駄にした感が強い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愚かな民よ。ち〇こをいじっている場合ではない。

愚かな民よ。エロ動画サイトを漁っている場合ではないぞ。おぬしらがちんこをいじっている間に頑張っている人間とはドンドン差が開いていくのじゃ。おぬしらのような怠惰な人間が「素人 個人撮影」はたまた「jk エロ」というワードでググっている間に、勤勉な人間は「筋トレ フォーム」「プログラミング 勉強」という自分の糧となる情報をググっておるのじゃ。この差が人生を大きく左右するのはおぬし等も薄々感づいているはずじゃ。じゃがおぬしらはちんこをいじることをやめない。

 

この馬鹿垂れ共が。

 

そうやって摩って発射することを繰り返して、何になるというのじゃ。誰が喜ぶというのじゃ。その場その場で自分を満たすことがそんなに大切か?これだからオナニー中毒者はいつまで経っても他者貢献が出来ないままなのじゃ。普段は人一倍成長したい、お金を稼ぎたい、価値提供したいと豪語しているのに、夜になると呑気におかずを探す時間があるのか。おぬしは自分の言っていることと自分の行為が解離していることを理解しておらぬのか。おいおぬし。「人に価値提供することとオナニーすることは解離しねーよ」じゃと?そうやってオナニーする時間は必要だと考えている時点でオナニーをしない人間とオナニー時間だけ差が生まれるのじゃ。いいか愚か者。1日20分のオナニーしている人間と20分のアウトプットする人間がいたとしたらどちらが成長すると思うか?言うまでもあるまい。当然後者の人間が成長するに決まっておる。アウトプットだとまだ差がイメージできないかもしれんの。では比較するものを変えよう。1日20分オナニーする人間と、20分間「どうすれば他人を喜ばせることができるか」を考えている人間がいたとする。これもどちらが成長するかと言えば答えは明白じゃろう。当然後者じゃ。当たり前の話じゃが、どれだけ人の為になることをできるかは、どれだけの時間人の為になることを考えたかに依存するのじゃ。逆に他人に価値提供できない人間は、考えもせずに消費に配分している時間が圧倒的に多いのじゃ。

もの凄く当たり前の事じゃが、自分の目指したい方向に向かえる時間配分をしないとお主は永遠にオナニー小僧のままじゃ。

 

確かに、たまたまエロい広告が目に入ってしまったり、ふと思い浮かんだシチュエーションで興奮したりムラムラすることはあるじゃろう。人間であれば仕方のない事じゃ。だがしかし、その本能に甘んじて自分磨きよりも一時的な欲求を満たすために動いてしまう今の自分に危機感を感じないのであればそれは本気でまずい状態じゃ。自分をコントロールできていないという事じゃ。別にオナニーに限った話ではないとて。そうやってその場その場で流される生き方は本当に何も積みあがらない生き方なのじゃ。その場その場で楽しめればOKというならば無理に止めはせんが、儂はお勧めできぬ。きっとおぬしは将来「もっと有意義な時間の過ごし方があったかもしれない」と嘆くことになるであろう・・・。

危機感を感じているならちんこを触るでないぞ。危機感を感じるならば、それは非常に正しいことなのじゃ。なぜならオナニーしていても現実の自分は全く成長しないことに感付いておるからじゃろう。きっと毎日気が付いたらちんこをいじっている、という状態にムラムラモヤモヤしているはずじゃ。その気持ちを忘れてはならぬ。そしてそんな自分の気持ちを裏切ってオナニーしてはならぬ。

オナ禁じゃ。堪えるのじゃ。今にもちんこを握りだしそうな右手を押さえるのじゃ。検索バーに入れた「素人 流出」という文字を消すのじゃ。もし自分に負けそうになって、ちんこに手をかけてしまっても目を閉じて次の言葉のを唱えるのじゃ。

「今日はオナニーしない」

暴走した自分を止めるには、一瞬でも我に返る時間が必要じゃ。そしてそれがとても重要じゃ。これでもオナニーをしてしまうならば、もうどうしようもない。猿じゃ。おぬしは猿以下じゃ。猿以下の自分を恥じるがよい。理性で本能を制御できないのは割と本気でまずかろう。焦れ。危機感を持て。恥を知れ。そしてもう一度最後に言う。

 

愚かな民よ。ちんこをいじっている場合ではない。

 

 

 

 

 

終わり

(所要時間81分)

ツイッターダサい言葉大全①

ツイッターをやっていると、口だけ達者で、行動が全然伴っていない奴を見かける。

何だか見ているとダサい。ダサすぎて逆に愛おしく思えてくる。

そんなダサいと感じたツイートのニュアンスをまとめてみた。

 

 

1 自分はまだ何も成し遂げていない。

→自分が何かを成し遂げられる前提なのはいいが、これを言ってて何かを成し遂げた人を見た試しがない。努力が見えるアカウントがこれを言うと「おお、頑張ってるな」と思うが、努力の見えない薄っぺらいアカウントがこれを言うと「クソだせぇ」と思う。

多分だけども、これは言う言葉ではなく胸に秘めておく言葉なのではないだろうか。

 

2 自分は○○だからこそ、いかに行動を起こすかが大事

→「いかに行動を起こすか」って何だ。行動を起こすことに”如何に”もクソもあるか。

しかも○○に入る言葉、大抵しょうもない言葉説。1と組み合わせるとダサさが倍増する。

 

3 ○○できる仕組みを作っていく。

→お前は今まで仕組み作りができなかったから、今の状態なんだろう。というかそもそも仕組みって何だ。○○できるようになるのに必要なのは仕組みではなく、思考錯誤でしょうに。

 

4 ○○から○○になるストーリーを発信。

→よくこんなプロフィール見かけるけど。クソダサい。何か分らんけどクソださい。サクセスストーリーを妄想して垂れ流して「俺はやってやるぞ」感出しているのがダサい。何だか”宣言したこと自体”に酔ってない?

 

 とりあえず○○をしてみた。これは自分に合ってる。継続できそう。

→まだ全然やってないのに、よくもまぁそんな事が言えるなぁと。たかだか数回やったくらいで判断するのは安直過ぎる。続いていれば良いけども、こういう事を言う人って知らない内にやめてるよね。

 

6 ○○さん本当すごい。〇〇〇〇で〇〇〇が・・・(冗長かつ露骨なよいしょ)

→誰かのツイートに対して引用ツイートでこれを言っている人が多い。

誰かの事を凄いと思うことはよくあること。それを口に出すのもよくあること。

けど、過剰に相手を褒める人がいる。「え、それは褒める所じゃなくない?」って所を褒めることもある。そういう人は、何となく媚を売っている感がツイートから滲み出ている。「俺は分かってますよ感」も滲み出ていて、非常にダサい。フォロワー数が少ない人がやるとダサく見えて、フォロワー数多い人がやるとダサく見えない不思議。

 

7 よし、○○しよう。

→誰かのツイートに対して引用ツイートでこれを言っている人が多い。

「このツイートを見たら居ても立っても居られなくなった。よし、俺も明日からやろう」という具合に。

でもあれ、君この前も似たようなこと言ってなかった?

この前言った方はちゃんとやったの?まずはそっちからじゃない?

口しか動いてないんじゃないの?

 

8 今の自分に足りないのは○○○○○だ。これを埋める為には・・・

→ぐちぐち言ってないではよ埋めろや。

 

9 ~だ。自戒を込めて。

→自戒込めんな。言い切れ。自戒込めんな。

 

10 なんだかやる気が出てきた。

→そう言ってお前ツイートしかしないやんけ。

 

11 ○○な状態を目指す。

→殊勝な心掛けでちゅね~。で具体的にどうするんでちゅか~。え、ファーストステップ考えてないんでちゅか!!まずはハイハイからしまちょうね~。

 

12 (全然やってないのに)だいぶ○○に慣れてきたな。

→お前悟るの早すぎない?本当?

やった感出したいだけなんじゃないの?

全然量が足りないのに、やってる感出すのは上手いよね。

 

13 このツイートに気づかされた。

→多分だけどお前はまだ気付いていない。気付いたフリをするのは楽しいか?

 

14 これは買いだ。これだけの内容が詰まってこの値段、お得過ぎる。

→確かに、買っただけでそれだけ満足感を得られるんだからお得なんでしょうね。

お得なもの一生買い漁ってろ。

 

 

 

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この記事書いてて思ったのはブログ書くのは自分に合ってるということだ。継続できそう。(5)

でも同時に気づかされた。(13)

自分がまだ何も成し遂げられていないということに。(1)

今の自分に足りないのは自分が今何をすべきかを把握することだこれを埋める為には常に自分が何をすべきかを紙に書いて細かくステップ踏んでいく事だろう(8)

でも自分はそれすらもサボってしまうことがあるだからこそ、いかにそれをサボらないように行動を起こしていくかも大事になってくる(2)

自然とそれらのことを出来るような仕組み作りも必要になってくるだろう(3)

この一連のことをできる状態を目指す(11)

そんなことを書いている内に何だかやる気がでてきた。(10)

よし、明日何をするべきか紙に書こう。(7)

やっぱりブログは毎日書くに越したことはない。

とにかく沢山記事を書くべきだ。自戒も込めて。(9)

これからはこのブログで、怠惰筆者勤勉になるまでのストーリーを発信していく。(4)

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因みにこの記事を読んで、

「この人がこれダサいって言ってたから使うのやめとこう」

って思って、自分の言いたいことを言えなくなるのもダサい。

 

 

まぁボロクソ言ったけど、結局どんなにダサい言葉を使っても、最後に結果を出した人がかっこ良いよね。

 

ダサく生きて、最後はカッコよくなろう。

 

 

終わり

(所要時間:105分)

それは本当にあなたの幸せなのか

「幸せになる勇気」を読もうと思うので、あらかじめ幸せについてをこのブログでアウトプットしておき、読むときの材料にしようと思います。

 

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人は幸せになる為に生きている。

 

不幸になる為に生きている人などいない。

 

当たり前だ。

 

 

幸せを感じる瞬間というのは人によって様々で、

 

・毎日美味しいものを食べることに幸せを感じる

・自分が主体的に動いて人を動かしている瞬間に幸せを感じる

・好きな人とデートをした瞬間に幸せを感じる

・ふかふかの布団で寝る瞬間に幸せを感じる

etc....

 

などなど、例を挙げれば枚挙にいとまがない。

というか当然幸せに決まった型というものは存在しないので、例を挙げようとする行為自体、無粋かもしれない。

とにかく幸せは個人個人の価値観と結びついているものなので、浅いところで共通の幸せがあっても、深いところまで掘り下げると必ず個々人のオリジナルの幸せがある。

 

たとえ、

「○○した瞬間って幸せなんだよねー」

「分かる~!!」

 

なんて会話をしたとしても、意気投合したとしても、理想としている幸せが完璧に一致していることはまずない。

あり得ない。

生きている年数が多ければ尚更だ。

違う環境で育ち、違う価値観を身に着け、違う生活をしていた人間同士の幸せへの価値観が完璧に一致することなんてあり得ないのである。

 

つまり何が言いたいのかと言うと、人は各々の幸せを完璧に理解し合うことが出来ないのである。

たとえ雰囲気に共感しても、理解にまでは及ばない。

 

 

 

ここまで長い前提を書いたけども、ようやくここで本題。

 

他人が提唱している幸せ論に賛同するのは良いが、それを自分の幸せ論に上書きしてはいけない。

 

ツイッターでよく見かける

「ゆるふわハイスぺ」「青雲の志」「好きなことで生きる」などなど。

 

これらを自分の目指す幸せだと思わない方が良い。

隣の芝は青く見えるではないが、他の人が言っていると何だかよく見えるのだ。

 

気付いてほしい。

提唱している本人達が自分でその言葉を見つけたことに。

気付いてほしい。

本人たちは一番しっくり来る言葉を、探す、選ぶ、作る、などの過程を経て使っているということに。

 

だから、良さそうなものを取って付けて真似るだけでは駄目だ。

自分で自分に一番しっくりくる言葉を見つけるからこそ、言葉にはエネルギーが宿る。

 

 他人が見つけた言葉を使うことに何の意味があるのだろうか。

 

 

 

どんな言葉でもいい。

まずは他人の言葉ではなく、自分の言葉で幸せを定義してみよう。

 

自分の人生、どんな時に楽しくて、嬉しくて、幸せだったか。

記憶のある所まで全て思い出してみよう。

 

きっとそこに、今後の自分の人生を幸せに導くヒントが眠っている。

 

 

終わり

(所要時間80分くらい)

 

 

働く理由。口実コミットと心の底からのコミット。

小さい頃から人が働く理由についてよく考えることがある。

「食っていく為に働く」、だとか「お金を稼ぐ為に働く」だとか。

 

これを読んでいる人も、多かれ少なかれ考えたことがあるのではないだろうか。

人が働く理由。

 

「誰かの役に立つ為に人は働くんだ」

とか

「お金を稼ぐために人は働くんだ」

などなど。

 

良くも悪くもこんな、それらしい回答になる人も多いだろう。

 

 

かく言う俺も小学3年生の頃にこの理由についてを考え、

「人は生きる為に働いているんだな」

という結論に達した。

 

そういう結論に至ったのも、

 

何の為に働く?→お金をもらうため

何でお金が必要?→食べ物を買うため

何故食べ物を買う必要がある?→生きるため

 

という3回の自問を経た結果である。

至ってシンプルな結論だったが、この考えがつい最近までの自分の仕事観を形作っていた。

小学校3年から大学4年まで、

「人は生きる為に働く」

と思っていたのである。

 

実にそれっぽい理由だ。

 

しかしここ1年間、ツイッターでいろんな人の仕事観に触れる機会が増え

「どうやら人は誰か価値を提供する為に働いているっぽい」

という考えに変わった。

価値観を書き換えられた。

ツイッターって凄い。

 

まぁそんなこんなで、今の仕事観は

「人は誰かに価値を提供するために働いている」

になっている。

 

厳密にこの仕事観も掘り下げていくと

何故価値提供をする為に働く?→誰かを喜ばせるため

何故誰かを喜ばせる必要がある?→喜ばせる=幸せにするだから

何故幸せにする必要がある?→人を幸せにすることで自分も幸せになれるから

なぜ自分も幸せになれる?→実際にそう感じるから

 

という感じになる訳だけども、

じゃあ今あなたがやっている仕事はそれを満たしていますか?と聞かれると、YES!!とは即答できないような業務も多いのが現状である。

 

まぁ入社してからまだ1カ月も経ってないから、意味不明な作業が多いのはしょうがないのだけども、流石にダラダラとした雰囲気の会議に出席することや、承認を得るための承認の得かた、なんてものを勉強するのは何だか流石に馬鹿らしく感じてしまう。

 

日々「仕事やってる実感」がない状態というのは地味につらい。

恐らく

「人は誰かに価値を提供するために働いている」

という考え方が身に付いていなかったら、

「今日も仕事やったわ」

なんて呑気な事をきっと言っていただろう。

勤務時間の分だけ自分は仕事をした、と錯覚したまま過ごすことになっていたかもしれない。

 

新しい仕事観を手に入れてしまったが為に、「仕事をやっている実感」がない状態になっている。

嬉しい悲鳴である。

 

だけど、今の自分が誰にも価値提供を出来ていない、という事を客観的に知ることができている時点で運がよいのかもしれない。

 

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{日々「仕事やってる実感」がない状態というのは地味につらい。}

と先ほどの行で書いた。

 

このことから言えることは、人間は何かに打ち込めていない状態、コミットできていない状態になるとモヤモヤを感じるのかもしれない、ということだ。

そういう意味では「勤務時間分の仕事をした」という考え方は、このモヤモヤの解消と非常に相性が良いのかもしれない。

 

だって、「今日も仕事を頑張ったぞ」

という口実ができるから。

自分は仕事にコミットしている、と自分を納得させられるから。

 

もしかしたら人は、このモヤモヤから逃れる為に、自然と自分を納得させているのかもしれない。

 

「大丈夫、自分は打ち込める物をちゃんと持っている」

 

そう自分に言い聞かせる為に仕事をする。

ダラダラと残業をする。

無駄な人付き合いをする。

 

自分を納得させるために。

モヤモヤに蓋をするために。

 

人間は暇に耐えられない生き物である。

暇を恐れている生き物である。

だから常に何かに時間を配分しないと気が済まない。

 

結論

若いうちに、口実としてコミットできるものではなく、心の底からコミットできるものに出会う必要性がある。

きっと毎月いくら稼いだとしても、口実としてコミットしただけだったら虚しさしか残らない。

心を満たし、人生を支えてくれるのは、心の底からコミットできるものだけなのかもしれない。

 

 

知らんけど。

 

 

終わり

(所要時間:およそ2時間)

 

葛藤

新卒入社で働き始めて早3週間。

仕事の目的や業務の流れを少しずつ掴み始め、ようやく仕事らしいことにも着手するようになってきた。

新居に引っ越してからも丁度1カ月が経過し、新生活も落ち着き始めている。

 

自宅のデスクから職場のデスクまでは20分。

少し時間はかかるが、申し分ない通勤時間だ。

通勤は私服でOKなので楽ちん。自転車通勤なのでストレスもほぼなし。

職場の先輩はとてもいい人で、分からない所も聞けば事細かくを教えてくれる。

お昼ご飯は先輩と談笑しながら食堂で食べる。

飲みの席では気持ちの悪い上下関係の気遣いもなく、部下が上司に物申す雰囲気。

 

なんか普通にええ感じやん。

気が付けば

社畜になりたくねぇ!!」

「独立してぇ!!」

と喚いていた昔の自分が、いかに会社勤めに過剰な拒否反応をしていたのかが分かる。

 

がしかし、嫌な予感も的中していた。

当時の大学生だった俺が、就職したくないと言っていた理由の一つに

「就職したら、そのままずるずる会社にしがみ付いて生きそう」

というものがあった。

 

まさに今の自分がその状態に当てはまりそうなのである。

 

これから仕事の量も増えていき、

「残業代出るならまぁええか」

という具合に残業する場面も出てくる可能性がある。

すると家での自分の時間も減り、生き方が会社勤め寄りになっていく。

そして働いている内にどんどん会社を断ち切れなくなっていく。

「まだいいか」と言ってタイミングを後送りにし、気が付いたら派遣社員で30歳のただのおっさんになっている、

 

なんて未来が容易に想像できる。

 

そんなのは嫌だ。

 

何やかんやで俺は独立したい。

自分で直接お金を稼ぎたい。

給料という毎月決まったお金が振り込まれる形態じゃなく、毎月不安定ながらも自分が価値提供した分だけお金を払ってもらえるような仕事をしたい。

 

会社に仕事を任されて、

「よっしゃ、早く一人前になって仕事を沢山こなせるようになるぞ!」

なんて悠長なことを言っている場合じゃない。

 

定時にすぐ帰れる今が一番のチャンスなのかもしれない。

 

 

なっすよ・・・

お金を稼ぐのだ・・・

何でもいいから給料以外でお金を生み出すのだ・・・

商品を作るのだ・・・

そしてそれを売るのだ・・・

お前に残された道はそれしかない・・・

 

「こいつ本当、いつになったらお金稼ぎ始めるんだ??」

と自分でも呆れてしまう状態である。

 

もうやりたいことを探している場合じゃない。

無心で何かを作って売る。

好き嫌いとか介さずに、作って売る。

そんな行動が必要なのかもしれない。

というか必要だ。

 

無心で行動するべき時期が訪れている。

 

 

終わり

(所要時間89分)

土日は遊び倒すぜうひょひょ富士山見に行く行く

クソみたいなタイトルで大変恐縮。

 

 

 

 

新入社員としての1週間が終わった!!!

 

新入社員のみんな、お疲れ!!!

 

みんなこの1週間どうだっただろうか?

 

きっと、環境が変わって、いろいろ慣れない1週間を過ごしたことであろう。

 

疲れた人は、この土日でしっかりと休もう。

こういう時はしっかりと休んで、来週に備えるべき。

 

かく言う俺も慣れない環境で働いた疲れが・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ないんだなぁこれが!!!

 

不思議とエネルギーが有り余っている。

 

正直全然働いた気がしない。

 

というか実際働いていない。

 

ずっとパソコンのセットアップとか、勉強だとか、現場の見学だとかしかしていない。

仕事をするための基本準備で1週間が終わった。

 

正直、めちゃくちゃ眠かった。

 

真面目にPCをセットアップするふりをしながら、寝ない方法を考えていた。

 

トイレで10分ぐらい仮眠をとったりもしたが、何とか耐えきった。

よく頑張った俺。

いや、まぁ頑張ってないんだけども。

 

 

なので、ピンピンしている。

あんなので給料が貰えるのが申し訳ないくらいだ。

しかも当分はそんな状態が続くようだ。

 

ラッキー

 

まぁ疲れてないアピールはこの辺にしておいて・・・・・

 

 

 

富士山見に行く!!

 

朝の6時から寝ていないのに、これから寝ずに友人と山梨県に行き、早朝の桜を楽しんでくる予定である。

 

そのあとは富士山周辺の散策。

 

現在3:30で、深夜テンションMAXである。

 

4時までは仮眠の時間なんだけど、

「少し寝るくらいなら寝ない方がマシやん?」

という阿保丸出しの考えで、2:00に不眠を決して今に至る。

 

俺は自宅で、友人は車で寝ている。

俺の部屋にもう一つ布団があれば、友人も寝れたんだけども・・・

(友人を泊めたい人は布団を用意しておこう。←当たり前)

 

 

友人はどうやらゆるきゃんというアニメの影響で、富士山周辺でキャンプがしたくなったそうな。

 

今週の水曜くらいに、

「富士山見に行かないっすか?」

とLINEが来て、

「行きてぇなぁ!!」

と返したところ、行くことが確定した。

 

友人は宮城県から車で、道中観光しながら東京に来て、そのまま山梨県まで行ってしまう程の行動力を兼ね備えている。

 

アニメの影響で県を平気で越えてくるなんて。

行動力の塊である。

 

友人は一眼レフが趣味なので、基本的にどこの観光スポットでも行けば時間を潰せるのである。

カメラを持てば、観光も楽しくなっていいよね。

友人語りをすると長くなりそうなのでこの辺で。

 

 

 

 

というまぁ・・・・

いつも通り今回の記事は全然大した中身もないんだけど、

このウキウキとした気持ちを留めることができなかったから、ブログに書き殴った。

 

もっといろいろ書きたい気持ちもあるが、そろそろ出発なのでこの辺で。

 

きれいな富士山の写真を撮ってくる!!!

 

みんな、良い土日休みを。

 

 

(手入力:所要時間30分くらい)