すごくてきとーに理想について語る
理想の話
誰しも理想というものを、思い描いたことがあるだろう。
「広い家に住みたい」
「大好きな人とイチャイチャしながら毎日を過ごしたい」
「お金に不自由せず、贅沢な毎日を生きたい」
「毎日永遠とゲームをしていたい」
などなど。
この例だと、余りにありきたり過ぎる気もするけども(笑)
かの有名な哲学者が「人間は考える葦である」とかよく分からない事を言っている事からも、人間はいろいろなことを考え、いろいろな夢を考え、いろいろな理想を考える生き物であることがわかる(思考が死んでる
最近、自分は将来どういう暮らしをしたいのか思い悩むことが多い。
大学生3年生になるまでは「お金持ちになりたい」だったり、「永遠とゲームをしたい」みたいな、ありきたりな願望しか湧いてこなかった。
しかし現在は違う。
寧ろ、「多分、そんな生活してもすぐ飽きるな」と気付き始めている。
正確には飽きないかもしれないけど、本当にそれだけ一生やれるかと聞かれたら即答できないなぁ、思っている。
しかし、何か崇高な理想が思い描けているのかと言えば、そうではない。
絶賛迷走中である。
俺は伊藤(イトウ@そぴたる (@sopital01) | Twitter)という人物のコンサル?を受けているのだけども、その人は
「お金だけ大量にあって、全然充実感のない人なんて世の中にごまんとおるで」
「自分ひとりの願望を叶えるんじゃなくて、周りの人も巻き込んで幸せにしていかないと人生面白くなくなるで」
「抽象度を上げて、自分の理想の世界を定義しないと、無難な人生に落ち着くで」
「ライスステージからライトステージまで、ぶれない一本の筋(信念)が通っている人生設計が大事やで」
「最初にがっつり人生のコンセプトを決めないと、無駄に彷徨う期間が発生するで」
という感じの事を主張している。
まぁ多分、大抵の人は何を言っているかさっぱりだろう。
興味ある人は伊藤氏に連絡を取ってみるといい。
俺も理解しきれていない。
まぁ話を戻すと、理想というものはそんなパッっと思い付きで出るようなものではないのである。
自分が理想だ!と思ったことを枯れるまで出し尽くし、それを一つに抽象度の高い概念にまとめる、ぐらいのことをしないと理想には届かない。
はたまた、その過程で理想だと思っていたものが実は理想ではなかったということに気が付く事もある。
一筋縄にはいかないのが、理想なのだ。
理想の密度
漠然と「人を幸せにしたい」と語っている人と、
考えに考え抜いた理想を凝縮した一言で「人を幸せにしたい」と語っている人では明らかに差がある。
前者は具体的に語らせてみるとほんの数分で語り終わってしまうけども、後者はその一言を永遠と掘り下げて語り続けられる。
どれだけ他の言葉を内包している一言なのか、がポイントである。
この2者を例えるなら、「ただのピンポン玉」と「100kgのピンポン玉」だ。
密度が違う。
別に、密度が濃いから立派な理想という訳ではない。
しかし、明らかにスッカラカンの理想というものは、もはや何も言ってないのと同じなのである。
永遠と具体化できるのではないか、という密度の抽象論が、理想なのだ、、
・・・理想なのかもしれない。
理想を見つけるためのヒント
理想を見つけることは非常に難しい。
理想というのは寝る間も惜しんで考えに考え抜き、徹底的に自分の過去を洗い出し、楽しかった時や幸せを感じた時を集めて凝縮して、これが俺の理想だ!!
と宣言したものが実は数日で飽きるものだった、というぐらいに見つけられない。
ウォーリーの5億倍、理想は見つからない。
もはや存在しないのではないか
探すものじゃないのかもしれない。
見つけるではなく、創るものなんじゃないか。
というか、永遠に完成することはないのだと思う。
きっと、生きていく上で永遠と向き合わないといけないもの、な気がする。
だからこそ、常に自分の感性を探る必要がある。
どういう時に楽しいと感じるのか、憤りを感じるのか、喜びを感じるのか、悲しみを感じるのか、ずっとこれをやり続けたいと思うのか、思ってきたのか。
部品を集めて、形にしていく作業が不可欠。
毎週ブレインダンプするぐらいの勢いで取り組まないと、理想は思いつかない。
取り合えず、何か熱中できるものがあれば気は楽になるけど、気休めでしかない気がする。
スプラトゥーンは無限にやり続けられる気がするけど、今それをやってたんじゃただの思考停止な気もする。
一つ言えることは、こういう事を悶悶と考えているよりも、誰かの役に経つことをして過ごした方が、理想を創るヒントになるのではないだろうか。
知らんけど。
無思考で行動するのも大事。
終わり
(所要時間:123分)
本当に時間を無駄にした感が強い。